特定非営利活動法人コンシューマーズ京都(京都消団連)

京都消団連30年のあゆみ

京都消団連30年のあゆみ

一、京都消団連の結成まで
(1)京都消費者大会の開始
あいつぐ公共料金の値上げなど物価問題が深刻化し、人工甘味料チクロなど食品添加物の有害性が社会問題化するなかで、1969年11月5日、京都府立婦人センターを会場に「物価値上げ反対・有害商品追放・消費者のくらしと健康を守る」第1回京都消費者大会が実行委員会形式で開催された。この大会には45団体から850名余の参加があり、講演「有害食品の実態と私たちの生活」(阪大医学部・丸山博教授)、講演「物価問題と国民の生活」(立命大経営学部・近藤文男助教授)のほか、パネル展や公開実験などで学習・討議をふかめた。また、第8回全国消費者大会代表団結団集会がひきつづき開催された。
第2回京都消費者大会は、1970年11月7日、8日の二日間、京都府立大学で開催された。この大会では、「公害」「有害・ウソツキ食品」「物価」「生産者と消費者との交流」などの分科会が開催された。パネル展示や公開実験、映画なども充実した。生鮮食品の即売会、COOP牛乳の試飲会なども好評であった。
第3回京都消費者大会は、1971年11月1日、京都府立婦人センターで開催された。「物価問題」「有害食品・公害問題」などの分科会に「市電」の分科会も加わった。生鮮食品の即売会も人気をあつめ、のべ参加者は2500人に達することになった。「かしこい消費者から行動する消費者へ」のキャッチフレーズがチラシ等で使用された。
(2)物価値上げ抗議市民大行進
1972年2月27日、京都消費者大会に参加した婦人団体、労組、市民団体など60団体からなる実行委員会の主催のもとに「物価値上げに抗議する京都市民大行進」がもたれた。
行進当日は雪の舞う日であったが、ネッカチーフ、タスキ、エプロン、風船などによって彩られた主婦を中心とする約600人が円山公園ラジオ塔前から四条烏丸までデモ行進を行った。「国民生活優先の政治を」「公共料金値上げ反対」「ファントム買うお金で保育所を」などの横断幕、プラカードで道行く人びとに訴える行動は、大きな反響をよんだ。
このとりくみのなかから、京都における消費者団体の連絡協議組織の必要性が強調されることになり、それが京都消団連結成につながったのである。
(3)京都消団連の結成
1972年7月3日、京都府立勤労会館で京都消費者団体連絡協議会の結成総会が開催された。
この総会には、27団体から60数名が参加し、府知事、京都市長のメッセージ、祝電等の披露につづき、運営規則の討議承認、代表幹事団体、事務局の選出、結成宣言、特別決議の採択の順に議事が進行した。代表幹事団体には加茂生活学校、京都母親連絡会、京都総評、京都府生協連が選出され、事務局は京都府生協連におかれることになった。特別決議としては「消費者米価の値上げに反対し、二重米価制を守り、食管制度を堅持する決議」などが採択された。結成総会時点での参加団体は36団体であった。
京都消団連結成をうけて10月28日に開催された第4回京都消費者大会は、従来の実行委員会方式をあらため、京都消団連の主催で実施された。会場は円山公園で、大会終了後、消費者行進を行った。また、12月20日には、関西各地の消費者団体とともに関西消費者団体連絡懇談会(略称「関消懇」)が結成され、以後の公共料金問題を中心にした関西における消費者運動のセンターを確保することになった。

二、70年代の活動
(1)「石油パニック」のなかで
1973年3月11日開催の「物価メーデー」では、京都春闘共闘、社保共闘、高齢者退職者協議会とともに京都消団連も主催団体になるなど、京都における暮らしを守る運動のなかで京都消団連はなくてはならないものになった。
とくに、1973年10月以降の「石油危機」を契機とした「物不足」、異常な物価つりあげのなかで京都消団連のはたした役割はきわめて大きなものであった。
この時期に物価は異常な急騰をみせ、73年度の物価上昇率は、卸売物価で22.6%、消費者物価で16.1%に達することになった。同時に、トイレットペーパー、洗剤、砂糖、灯油などの「物不足」パニック、さらに「総需要抑制」政策のもとでの深刻な不況が国民のくらしを直撃することになった。
こうした事態が、「千載一遇のチャンス」とばかりにヤミカルテルをつよめ、価格の便乗つりあげを行った大企業によってひきおこされたものであったことも、消費者運動のたかまりのなかで明らかにされていった。当時、消費者運動は「つりあげた価格をもとにもどせ」「大企業の経理と製品原価を公表せよ」といったスローガンをかかげた。京都消団連では、連日、メーカーや商社にたいして抗議・要請行動を行ない、物資の放出、便乗値上げの撤回など、数多くの成果をおさめた。
このような運動のひろがりのなかで、「原価公開」論や企業分析活動など、運動の質もおおいにたかまっていった。さらに、独占禁止法の改正をもとめる運動もひろがり、関西では「独禁法の改正強化を要求する関西消費者団体連絡会」が193団体の参加のもとに結成されることになった。
(2)公共料金値上げ反対運動
電気、ガス、私鉄をはじめとする公共料金問題は、京都消団連がとりあげつづけてきた問題である。京都消団連結成総会での決議をうけてただちに関西電力、大阪ガスに公開質問状をおくるとともに、京都大学の野村秀和助教授の協力をえながら「最近の公益事業(電力・ガス・私鉄)」というパンフを作成するなど、関西電力、大阪ガスの値上げ問題について活発なとりくみがすすめられた。
これ以後、何度かにわたる料金の値上げにあたっては、関西電力、大阪ガスとの交渉、通産省主催の公聴会、関西消費者団体連絡懇談会主催の「民間公聴会」などの場を通じて、消費者の要求や怒りを示してきた。
私鉄運賃についても同様に、運賃値上げの不当性を訴え、安全対策やサービス改善をもとめる運動がくりかえされてきた。
こうしたとりくみのなかで、関西レベルで弁護士や公認会計士の参加もえてひらかれた「合同研究会」は消費者運動の理論水準をひきあげるうえできわめて重要な場となった。
国鉄運賃、消費者米価、水道料金などの値上げにあたっても、広範な団体とともに運動をすすめた。
(3)一般消費税に反対する運動
歴代自民党政府の財政政策の結果、国債発行残高が巨額なものにふくれあがるなかで、くりかえし大増税の問題に直面することになったが、最も容易に巨大な財源を確保しうる税制であることから、一般消費税導入の動きがたびたびくりかえされた。これにたいする反対運動もその都度、力強く展開されてきた。
1976年3月22日には、税制調査会が付加価値税の導入をはかろうとするなかで、「付加価値税新設阻止、重税反対、不況打開、生活防衛京都一万人集会」が府立体育館で開催された。
大平内閣が一般消費税導入をはかろうとするなかでは、1979年12月7日、広範な団体が結集し、「一般消費税に反対する京都府民連絡会」が結成された。京都消団連もその幹事団体のひとつになった。一般消費税は、国民の反対運動のなかで導入されず、国会では「増税による財政 再建はしない」との決議がされることになった。
この段階でとりあえず役割を終えた「一般消費税に反対する京都府民連絡会」は活動休止状態になるが、80年代の売上税、消費税導入のなかで大きな役割をはたすことになる。
(4)生産者と消費者の交流
京都消団連の結成を前後して、消費者米価の物価統制令適用除外の問題やあいつぐ消費者米価の引き上げに反対する運動がすすめられた。これらの運動のなかで、京都消団連は日本の食糧と農業を守る立場から、とくに生産者との交流を深めることを重視した。
1974年2月5日には「食糧問題を考える討論集会」がひらかれ「生産者と消費者、小売業者、行政が一体となって食糧の自給率を高めよう」と決議している。このような集会が、その後もくりかえし開催されるとともに、国にたいする要請、近畿農政局との交渉などがくりかえされている。また、米穀流通の適正化、米の消費拡大についての要請も行っている。
生産地を訪問し、生産者との交流を深めることも重視してきたことであり、1975年4月にはチューリップのさく網野で一泊し、生産者との交流を行っている。
1978年12月には京都市生活改善グループ連絡研究会との協力で「生産者と消費者のつどい」を開催したが、この「つどい」はそれ以来継続された。
漁業との関わりでも1977年2月21日に200海里問題がクローズアップされるなかで「魚を考えるパネルデイスカッション」がもたれ、その5月には宮津、舞鶴などの現地での研修交流が行われている。
(5)有害添加物の追及めざして
人工甘味料チクロ問題以来、タール系色素、AF2、石油たんぱく、サッカリン、学校給食用リジン、OPPなど、有害添加物を追放し、食の安全をもとめる運動も、京都消団連がとりあげつづけた課題である。この運動は、有吉佐和子の『複合汚染』の出版などをうけて農薬問題などにまで社会的関心がひろがるなかで、より安全な農産物をもとめる消費者の声と運動へと発展していった。森永ヒ素ミルク事件につづき大きな社会問題になったカネミ事件や薬害スモンの被害者との連帯も課題になった。
さらに、さまざまな公害問題に消費者としての関心がたかまるなかで、公害追放の運動も課題となった。なかでも、飲み水の安全をまもるためにも「いのちの水がめ」といわれた琵琶湖をまもる運動がよびかけられ、合成洗剤追放、安全な洗剤開発、粉せっけんの普及運動が展開された。
(6)市民の足をまもる
京都市域の都市交通体系は、都市開発の進展、モータリゼイションの進行、人口分布のドーナツ化の流れのなかで、市電時代、市電・市バス時代、市バス時代、市バス・地下鉄時代とうつりかわってきたが、総じて公共交通網の整備が不充分なままにおかれてきた。
このなかで住民の側では、市民の足を守る立場から、「市電をまもる会」が運動の中心になった市電撤去反対運動や、地下鉄開通にあたっての市バス系統再編に市民の声を反映させる運動などがとりくまれてきた。京都消団連も、これらの運動に参加し、役割をになってきた。
市電撤去反対運動のセンターになった「市電をまもる会」が解散したあと、地下鉄開通にともなう系統再編のなかでは、京都消団連も幹事団体になり「市民の足を守る会」が組織され、市民の声の集約などの運動がすすめられた。
京都の交通体系はいまも変化しつづけているが、市民の立場、とりわけ交通問題で弱い立場にあるものの声をになった運動はますます重要になっている。これまでのとりくみを継承発展させることが必要になっている。
(7)消費者行政の確立にむかって
ケネデイの「消費者の4つの権利」の提唱、さらに消費者問題が注目されるなかで、わが国でも1968年5月、消費者保護基本法が制定された。これをうけて、地方自治体レベルでも消費者行政の整備が課題となりはじめていたが、とくに「石油ショック」を前後して消費者行政の必要性がたかまり、各地で消費者保護条例の制定や消費者センターの整備がすすんでいくことになる。
京都においては、京都消費者大会のとりくみのなかで、「消費者センターの設置をすすめる会」が発足し、その活動のもとで、府は婦人センターに消費者教室を、京都市は衛生研究所に消費者コーナーを設置することになった。さらに、京都市が1975年に「京都市消費者保護条例」を、京都府が1979年に「消費生活の安定および向上に関する条例」を制定するのをうけて、京都市は1976年12月、京都市消費者センターを設置、京都府も消費生活科学センターを1981年1月に設置することになった。
京都消団連は、こうした動きのなかで、消費者の権利の確立をはかる立場からの条例制定・運用をもとめるとともに、消費者センターの充実、各種審議会での消費者代表の位置付けの明確化など、消費者の権利の確立をもとめる運動をつづけてきた。

三、80年代の活動
(1)市場開放と消費者
80年代になってから牛肉・オレンジ問題など、農産物市場開放が急速にすすんだ。
1983年の食品添加物規制緩和の問題では、学習・討議が大きくひろがった。このようななかで、府議会でも「食品添加物の大幅緩和を撤回し、消費者本位の食品衛生行政をもとめる意見書」が採択された。また、国会あての請願署名も15万人をこえるものとなった。大規模な講演会やシンポジウムも開催された。
残留農薬の問題も継続的に話題になった。1983年2月、大阪で「農薬全国集会」が開催されるなど、全国的な集会もひらかれた。また、市場開放との関係でとりあげられたアスパルテームの問題も消費者の関心をあつめた。
このような活動がひろがるうえで、1983年4月に埼玉県嵐山町でひらかれたIOCU日本国際セミナー、ひきつづきもたれた「健康と安全のための京都国際交流会」がはたした役割も大きかった。
レイチェル・カーソン生誕80年記念事業の成果のうえに、1988年5月、レイチェル・カーソン日本協会が設立されたが、京都消団連としても必要な協力を行った。
輸入食品の安全性に関する問題についてはミナト見学などのとりくみがひろがった。
米の輸入自由化問題が焦点になるなかでは、農協のよびかけた全国署名にとりくむとともに、1989年2月4日に結成された「日本の食糧と食生活を守る京都府民連絡会」にも参加した。
(2)円高差益還元をもとめて
1ドル360円で固定されてきた為替レートが自由化されてから、次第に円高がすすんだが、とくに1985年9月22日の5ケ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)を機に急速に円高がすすんだ。当時1ドル242円の相場が1ドル140円前後にまですすんだのである。
円高差益を還元せよという運動は、78年当時にもとりくまれたが、本格的なとりくみは86年以後のとりくみである。
消費者運動がとりあげた円高差益還元の対象は電気・ガス料金、灯油をはじめとする石油関連製品が中心であった。運動の結果、電気・ガス料金は何次かにわたり値下げされ、灯油価格も大幅に引き下げられた。
しかし、食料品や日用品などについては、「どこへいった円高差益」という状況のままであった。輸入品の多くが原材料品であったが、次第に製品輸入がふえてきているなかで、円高差益が末端消費者に還元されるように流通段階のチェックが必要だと指摘された。
このような円高差益還元運動のなかで、「円高Gメン」の登録、市場価格調査の試みがあったが、この活動は、90年秋の中東問題にともなう石油価格高騰のなかでの消費者の手による価格監視活動として継承された。
(3)消費者被害をふせぐ
豊田商事事件に象徴される各種の訪問販売による消費者被害の防止や救済のために、訪問販売法の改正、消費者保護条例の運用強化がもとめられた。京都消団連は、全国訪問販売法改正推進協議会や悪徳商法をなくす京都連絡会などに参加し、弁護士や消費生活コンサルタントなど専門家と協力して運動をすすめた。また、京都消団連としても独自に京都市議会に「訪問販売の規制に関する請願」を提出した。この請願は、1986年12月、全会一致で採択され、国にむけて訪問販売法改正をもとめる意見書が提出された。このような運動の結果、1988年5月、訪問販売法の改正が実現した。
訪問販売法改正をうけて、京都府、市においても、不当取引の規制に対応するための条例整備が課題となりはじめた。
(4)消費税反対の運動
1986年7月の衆参同時選挙で300を上回る議席を確保した中曽根内閣は、選挙中かかげていた「大型間接税は実施しない」との公約をやぶり、まぎれもない大型間接税である売上税を導入しようとした。京都消団連はただちに反対決議を行ない、学習・宣伝活動を展開した。また、「大型間接税に反対する京都府民連絡会」の活動再開をよびかけ、各層各分野の広範な諸団体とともに、府民的規模での反対運動をすすめた。さらに、全国、関西の消費者・市民団体とも協同した反対運動をすすめた。
このようななかで売上税は廃案になったが、竹下内閣のもとで消費税と名前を変えた大型間接税が導入されることになった。「よわいものいじめの消費税」に反対する運動は、売上税反対運動を上回る規模で大きく広がった。京都消団連は消費者・市民の声を結集し反対運動の先頭に立った。あいつぎ集会やアピール行進、国会請願行動などがとりくまれた。
運動は消費税が導入されてからも継続し、ねばり強く展開された。1989年4月の消費税導入時には「消費税110番」にとりくみ、消費税が導入される時点での問題点を告発した。さらに、消費税廃止をめざす運動を「京都府民連絡会」に結集し展開した。1989年秋にとりくまれた「消費税廃止をもとめる京都府民投票」は33万余の府民の声と怒りをあつめることができた。
(5)原発と地球環境問題
1986年4月26日におきたチェルノブイリ原発事故は、原発の「安全神話」を崩壊させ、原発が技術的にはなお未熟なものであり、おもいもよらぬことから大事故をひきおこす心配があるものだということを示した。京都消団連では、チェルノブイリ原発事故から二年目にあたる1988年4月26日、「原子力発電を考えるつどい」を開催し、この席上で「原子力発電についての私たちの考え方」を発表した。また、その5月21日には美浜原子力発電所の見学会を企画した。1988年には「くらしを通して原発・エネルギー・環境を考えるキャンペーン期間」として各地の消費者団体とともにとりくんだ。
フロンガスによるオゾン層破壊、地球の温暖化、酸性雨、熱帯雨林、野生生物問題、海洋・湖沼の汚染など、地球的規模での環境問題がさけばれるようになってから、京都消団連のなかでも、環境問題がひとつの軸になってきた。1989年5月の京都市消費者まつりでの出展テーマは「環境汚染とわたしたち」を選んだ。また、その6月には学習会「かけがえのない地球をまもるために」の開催、さらに9月の「地球環境と大気汚染を考える国際市民シンポジウム」への参加などのとりくみをすすめてきた。
1985年11月、関西に移り住んだ水俣病患者の救済をもとめる水俣病京都訴訟が提訴されたが、京都消団連も支援活動に参加した。
(6)消費者主権の時代をめざす
1989年9月に来日したアメリカの消費者運動家ラルフ・ネーダーは日本各地で多くのことを語っていった。京都でも第20回京都消費者大会記念講演会で「いま消費者の時代がはじまる」と題した講演で、情報公開法の制定をはじめ、消費者が主権をもつ経済社会を実現するためのいくつかの提案を行った。
しかしながら、「日米構造協議」のなかで「消費者の利益」ということがさかんに強調されたものの、実際には消費者主権とほどとおい現実がつづいた。
このようななかで、社会的不公正をただし、消費者の権利を具体的に実現するために、独占禁止法の改正、情報公開法や製造物責任制度の実現などが課題として強調されるにいたった。とりわけ、欠陥商品による消費者被害に「泣き寝入り」しなくてもすむように、製造物責任制度を実現するための世論を喚起することが急務とされた。
15年におよぶ灯油裁判の最終的な判決となった1989年12月の最高裁判決は、消費者側にヤミカルテルと被害の因果関係について立証する責任を過大にもとめるなど、不当なものであったが、この結果からも、裁判所をひらかれたものにするための運動が必要だと強調された。また、こんごの課題として、消費者庁の設置の提言もされた。

四、90年代の活動
(1)消費税アップ反対運動
1990年6月、大型間接税に反対する京都府民連絡会の提唱により「消費税告発月間」がとりくまれ、9月13日には「月間」のとりくみをうけて「消費税告発シンポジウム」が開催された。
1991年秋、京都市では消費税を市バス・地下鉄等の公共料金に転嫁するための関連条例改正案が提案されたが、京都消団連はこれに反対し要望書を提出した。
1994年5月から6月にかけて消費税率引き上げが問題になるなかで、消費税に反対する団体が「名前をかえても、形をかえても消費税引き上げには反対する」との立場から共同で「消費税率アップをゆるすな!京都府民大運動」を展開した。京都消団連は、この運動の事務局団体として役割をはたした。運動は、府下自治体へのキャラバン活動やKBSラジオでのスポット活動など多彩なものであった。
しかしながら、1994年秋、多くの反対の声があったにもかかわらず、1997年4月からの消費税率引き上げが決定された。
1977年4月から消費税率が5%に引き上げられたが、京都消団連では、多くの団体と連絡をとりながら、「京都府民投票」の実施、「京都府民税制調査会」の開催など、運動を継続した。
(2)ガットからWTOへ
日本の食糧自給率が低下しつづけるなかで、消費者の立場から日本の農業問題を考えるともに、輸入食品の安全性を問う運動がすすめられた。京都消団連としても、1990年6月、「輸入食品の安全確保に関する要望書」を政府に提出するなど、日本の食糧と食生活を守る立場から学習、調査などの活動をすすめた。
1993年は異常気象がつづいた影響で、コメの作況指数が全国で74という結果になった。その結果、コメ不足、緊急輸入がさけられなくなるなかで、1994年2月から3月にかけて「平成コメ騒動」という事態が生じた。京都消団連は「コメ110番」にとりくむとともに、コメの安定供給、輸入米の安全確認を要望した。「安全でおいしいコメの安定供給をもとめる署名」にもとりくみ、11月に村山総理あてに提出された。
多くの問題をのこしながら、ガット体制からWTO体制にすすむなかで、コメについても輸入自由化が行われた。また、新食糧法が施行され、国内のコメ流通事情も大きくかわることになった。
1995年、天然添加物の指定制度や農薬残留基準の整備など、食品衛生法が13年ぶりに改正されたが、1996年から1997年にかけて、O-157、遺伝子組換え食品問題など、これまで経験したことのない「食の安全」をめぐる問題があいつぐなかで、あらためて食品衛生法の抜本的な改正とあわせて、地方自治体の「食の安全」対策の総合的な強化の課題が焦点になった。
日本の食糧自給率は歯止めがかからずますます低下している。世界的な規模での食糧事情をふまえて、あらためて食糧自給率向上の課題の重要性が強調された。
(3)地球環境問題のとりくみ
1990年4月22日はアースデー(地球の日)であった。この日、世界で地球環境をまもろうとの思いをもった人びとが立ち上がった。京都では「アースデー1990京都ネットワーク」が結成され、共同アピール「京都から世界のなかまたちへ」がだされた。
「アースデー京都ネットワーク」はその後も継続され、環境問題でのあらたな共同の輪をひろげるうえで役割をはたした。
1992年6月、「環境と開発に関する国連会議」がひらかれた。また、これに前後して、さまざまな国際会議も開催された。このようななかで、地球的規模で環境保全のとりくみをすすめるためにも、水俣病問題をはじめ日本の公害の経験を正しく伝えることが日本のNGOの責任であることも確認された。
1977年12月、地球温暖化防止京都会議(COP3)が開催された。地球温暖化問題解決にむかって、世界各国から政府首脳、研究者、NGO、マスコミ関係者が京都にあつまり、二酸化炭素等の削減目標を具体的に掲げて共同歩調でとりくみをすすめることが強調されるなかで、「京都議定書」が採択された。京都消団連は、気候フォーラム、気候フォーラム京都ネットの活動に参加し、多くの環境NGOや市民団体とともに、COP3成功にむけて努力した。
COP3後は、この「京都議定書」の批准発効にむけてとりくみをすすめるとともに、削減目標達成をめざす国内対策の具体化をもとめてきた。また、気候フォーラムは気候ネットワークに、気候フォーラム京都ネットは地球温暖化防止京都ネットワークにそれぞれ発展的に改組されたが、京都消団連はそれぞれに参加継続した。
(4)リサイクル社会をめざして
環境問題のとりくみのなかで、わたしたち一人ひとりが何をしなければならないか、何ができるか、という問いかけが行われ、多くの消費者・市民がリサイクル活動に参加しはじめた。いまの「使い捨て社会」に反省し、リサイクルを前提にした経済社会システムをめざしていこうというのである。
1990年1月、「環境保全・資源のリサイクルを考える消費者のつどい」が開催されたのを機に、京都消団連としてもゴミ問題に目をむけ、5月には清掃工場見学、そして5月24日には「ゴミ問題についての考え方」をまとめ、京都市消費者まつりでは「すてればゴミ いかせば資源」をテーマに啓発活動を行った。7月には「京都のごみ問題を考える市民のつどい」が開催された。
その後、多くの消費者・市民団体との学習・交流を深めるなかで、1991年10月27日には第22回京都消費者大会が「ゴミ半減化宣言」を行った。
リサイクル社会をめざすうえで、国段階のリサイクル関連法の整備とあわせて、地方自治体段階での「リサイクル条例」の制定や、それにもとづくリサイクル促進計画がもとめられた。京都消団連では、京都府や京都市のゴミ減量化にむけての検討にあたり、意見反映につとめてきた。
90年代後半、容器包装リサイクル法など循環型社会にむかっての具体的な動きがはじまった。リサイクル体制づくりからゴミ発生抑制にむかってふみこんだ活動をすすめることが必要とされるにいたった。
他方では、ダイオキシン汚染など有害化学物質による環境汚染対策強化も課題としてうかびあがた。
(5)原発問題に関わって
1990年8月、原子力発電問題全国シンポジウムが京都で開催された。京都消団連もこのシンポジウムの京都実行委員会に参加し、事務局団体になった。また、1990年9月5日には、関西消費者団体連絡懇談会の主催で、関西電力との間で「原発についての民間公聴会」が開催された。料金問題での交渉のなかでも原発問題はたびたび話題になってきたが、「民間公聴会」で原発について集中的に議論する機会として注目された。原発問題についての自主学習会「ピコキュリーの会」の活動もとりくまれた。
1990年9月から10月にかけてチェルノブイリ現地視察に代表を派遣し、その報告活動とあわせてチェルノブイリ援助を訴えた。
1991年2月9日、美浜原発でECCS(緊急炉心冷却装置)が作動する重大な事故が発生した。京都消団連では、これを機に、多くの市民団体とともに「京都原発情報ネットワーク」を結成し、原発の事故から府民の安全をまもる活動をすすめた。1991年12月になってから京都府と関西電力との間で「原発安全協定」が結ばれたが、これをうけて各自治体レベルでの事故発生時の体制づくりの必要性が強調された。
1995年12月、高速増殖炉もんじゅがひきおこした事故は、きわめて重大なものであった。京都消団連も、ただちに事故の全容確認、安全性が確認されないかぎり運転再開をしないよう要請した。
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料施設ジェーシーオー東海事業所で国内最大の事故が発生した。重症被爆者が出たことや、数多くの住民が「屋内退避」をもとめられるなど、重大なものであった。京都消団連は「原子力関連施設の安全対策の確立、原子力政策の見直しを要望する」見解を発表した。
(6)消費者不在の物価値上げに反対して
1990年の「湾岸戦争」にあたり、国際原油価格が急騰し、石油製品などの値上げが心配されるなかで、京都消団連は「物価監視本部」をつくり、価格監視活動を行うとともに、関係方面への要請活動をすすめた。
この時期を除き、物価は、全体的に円高差益還元、価格破壊などにより安定または低下基調で推移したが、私鉄運賃、電話、郵便、高速道路使用料、授業料、水道料金などの公共料金については値上げがあいついで問題になった。京都消団連は、これらの動きにたいして消費者不在の値上げに反対する立場から必要な情報公開をもとめ、消費者の意見反映につとめた。
70年代から続いてきた関西消費者団体連絡懇談会の活動も、電気、ガス、私鉄などの公共料金値上げにあたり「民間公聴会」を開催するなど、継続的にとりくまれた。また、LPガスの流通改善に関連しても、シンポジウムを開催した。
京都のタクシー運賃問題に関連しては「民間公聴会運営委員会」の活動がつづけられた。
(7)PL法から情報公開法へ
欠陥商品による消費者被害に「泣き寝入り」しなくてもすむようにとの立場から、わが国においても製造物責任制度を実現しようとの運動が長年にわたりすすめられてきたが、1995年7月、製造物責任法(PL法)が制定・施行された。これは日本の消費者運動の貴重な成果といえるものである。
これをうけて企業でも、地方自治体でもPL対応が具体化されてきたが、消費者としての意識啓発も重要になった。
同時に、PL被害救済のためには、情報公開制度が不可欠だということも明確になり、PL法制定運動の成果をふまえ情報公開法制定運動が展開された。
1995年10月、全国の地方自治体で家電製品からの出火事故の事例について条例にもとづく情報開示請求がいっせいに行われたが、地方自治体レベルでの情報公開制度の充実・活用の重要性もあらためて強調された。
このようななかで、情報公開と参加こそが、消費者の権利の確立ということにとどまらず、公正な社会の実現ということからも重要だということが強調されるにいたった。
消費者契約トラブルがあいつぐなかで、PL法制定につづき、消費者契約法制定をめざす運動がすすめられた。
司法改革問題についても消費者の立場から関わることがもとめられた。
(8)阪神大震災の経験に学ぶ
1995年1月17日の阪神大震災は、一瞬のうちにあまりにも多くの被害を発生させた。他方では、災害につよいまちづくりの重要性やボランテイア活動の課題など多くの教訓をのこした。
阪神大震災以後も各地で重大な自然災害があいついでいる。阪神大震災の経験と教訓に学び、足もとの自治体の防災体制を住民としてチェックし、必要な災害対策を具体化していくこと、災害時における住宅保障制度の確立、住民相互の日常的な協力体制づくりや、1人一人の消費者としての災害へのそなえ、などのとりくみをすすめていくことがますます重要になっている。
(9)国際化社会のなかで
ボーダーレス時代といわれる。地球のどこかでおきたことが、すぐにわたしたちの暮しに影響を及ぼす時代である。さらに地球的規模での環境問題を解決しようとすれば、国際的な視野をもち、とりくみの幅をひろげなければならない。
京都消団連では、1987年のマドリッド大会につづき1991年の香港でのIOCU定期大会に代表派遣した。また、1994年8月、京都で国際消費者法セミナーが開催されたのにあたり、IOCU関係者との交流会を開催した。
また、「環境と開発に関する国連会議」を前後してのさまざまな国際シンポジウムや「アジア太平洋NGO環境会議」などの開催にも協力してきたが、これらのとりくみの中で、より日常的に、くらしの現場での国際交流をふかめることが重要だとされた。
2000年5月、ISO/COPOLCO総会が京都で開催された。消費者団体としても「地球市場における国際規格への消費者参加」の課題意識のもとに討議に加わった。

五、21世紀にむかって
(1)「食の安全」のために
O-157、遺伝子組換え食品、さらにBSE(狂牛病)問題など、食の安全に関連してあいついで重大な問題がおきるなかで、食の安全をまもるための社会的なシステム整備の必要性が強調されている。この間、日本生協連のよびかけではじまった食品衛生法改正をもとめる運動は全国の消費者の運動としても大きく広がってきたが、その成果のうえに、食の安全をまもるための法整備や行政組織の整備をふくむ総合的な施策が早急に具体化されるように運動の輪をひろげなければならない。
(2)環境問題の解決のために
地球環境問題、化学物質による環境汚染、都市化・開発にともなう自然破壊など、環境問題はますます重要な課題になっている。消費者運動としても、環境に配慮した購買・消費・廃棄について考え、行動する消費者(グリーンコンシューマー)を育てる活動が重要になっている。
地球温暖化防止京都会議(COP3)で採択された「京都議定書」が批准・発効にむかうなかで、国内対策、地域対策としての地球温暖化対策の推進がもとめられている。消費者運動としても何を、どのように課題としてとりあげていくのかを明確にしながら、COP3開催地・京都発のとりくみをすすめなければならない。
(3)消費者の権利のために
PL法制定運動、そして消費者契約法制定運動などの成果をふまえ、日本の社会のなかで消費者の権利が確立することをめざして、消費者のための法制度全般についての見直しをすすめることが必要になっている。
司法改革に関わっては、消費者問題の特性から団体訴権を可能にするための条件整備が必要である。また、弁護士費用の敗訴者負担制度については、実質的に裁判を利用できないものにしかねないことから、その具体化にあたって消費者団体としての発言がもとめられるところである。
(4)くらしを守るために
日本の国および地方財政の現状からみて、これからすすめられる税制改革、医療制度改革などは国民の重い負担を確実にともなうものになるものとみられる。他方では、長引く景気低迷のなかで、賃金引下げ、さらに雇用問題など、くらしは深刻な状況にある。暮らしを守り、日本経済を建て直すための総合的なビジョンをかかげ、関係団体との対話と交流を深めながら、幅広い共同の運動をすすめなければならないであろう。
(5)組織・財政基盤の強化のために
これらの課題を担う消費者団体の組織・財政基盤を強化することは何よりも重要な課題になっている。日本の社会においてNGOやNPOの活動がようやく定着にむかうなかで、消費者団体の組織・財政基盤を整備するということから、消費者団体のNPO法人化の課題について具体的な判断が必要になっている。また、消費者運動の未来をになう若いリーダーの育成についても特別に重視しなければならない。

(2002年4月30日)

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